青年海外協力隊 ニジェール活動日記

2004/03/01〜2004/07/17


駒ヶ根訓練所
スポーツ大会(ドッジボール)

ニジェールに行く前に日本で行われた「技術補完研修」と「派遣前訓練」の様子を紹介します。


仙台での技術補完研修の様子

青年海外協力隊では、全員が行う「派遣前訓練」の前に、職種別に「技術補完研修」が行われます。技術補完研修の目的は、途上国の特殊事情への対処の習得です。例えば医療系の職種なら、途上国でしか流行していない病気への対処や、設備や薬品が十分に無い状況での医療活動の仕方を学びます。期間や時期は職種によってまちまちで、研修が無い職種もあります。また、障害者教育機関に配属予定の人には、職種別の研修の他にさらに障害者教育の技術研修が行われたりもします。

今回のコンピュータ技術職種の技術補完研修は、約3週間かけてPCの分解・組立、Linuxサーバー構築、eラーニング(コンピュータを使った学習)教材作成、インストラクター技術などを学ぶというものでした。コンピュータ技術職種と一口にいっても、合格者の顔ぶれを見るとインストラクター出身の人、ネットワーク管理者出身の人、プログラマー出身の人、機器保守出身の人など人それぞれ専門が違います。例えばインストラクター出身の人はパソコンの中を見たことが無いという人もいます。しかし周りに聞ける人がいない途上国では、PCの分解修理からコンピュータを使った教材作成まで自分で一通りのことが出来ないと活動がままならないので、研修は各人の知識を最低限そのレベルまで揃えるためという位置づけで行われています。

はっきりいって、非常に役に立つ研修でした。Linuxサーバー構築など、興味はあっても日頃なかなか手を出せないことを、じっくりと腰を据えて学べました。他の人も、それぞれ自分の不得意分野を学べてよかったという感想です。コンピュータ会社の新人研修でもこれくらいのことをやるべきだと思います。

技術補完研修は仙台で3月1日〜24日の約3週間行われました。宿は駅前のビジネスホテルです。3月でも仙台はまだ雪が降るほど寒く、毎朝白い息を吐きながら30分ほどかけて歩いて研修場所まで通学しました。

なんで仙台なのかというと、研修を仙台の専門学校が落札したからです。なので研修はいつも仙台とは限らず、実際僕らの次の回は東京での研修になったようです。
一緒にLinuxネットワーク構築の実習をした面子です。今回研修を受けたのは全部で13人で、それぞれ中米(たくさん)、モンゴル、ブータン、パキスタン、フィリピン、エチオピア、ニジェール、ガーナへ旅立ちました。
日曜は研修が休みなので、皆で近場を旅行しました。写真は仙台市近郊の秋保温泉です。がんばって青森までわんこそばを食べにいった面子もいました。
写真左の彼は、コンピュータ技術隊員というよりむしろサルサ隊員と行って良いほどサルサが上手かったため、夕方研修が終わってからサルサ講習会が催されたりもしました。

技術補完研修と派遣前訓練の間

今回は、技術補完研修と派遣前訓練の間に3週間ほど間がありました。現職参加の場合、この3週間は休職期間対象外(つまり給与補填対象外)という扱いになるので、皆結構この期間の過ごし方は苦労したようです。会社のほうも3週間だけではまとまった仕事を任せられないので、人事部付けになって雑用をしたり、期末の経理の仕事を手伝ったりということになる場合が多いようです。

僕の場合は、3週間全部有給休暇で埋めました!その時有給が20日以上残っていたのですが、それらは2年後戻ってきた時にはもう権利消失してしまうので一気に消化することにしました。このわがままな要求を許可してくれた上司に感謝します。大学卒業以来久しぶりの長い休みは、実家への引っ越し作業や小旅行の時間へ充てました。


駒ヶ根訓練所での派遣前訓練の様子

4月14日より、いよいよ長野県駒ヶ根市の駒ヶ根訓練所で派遣前訓練が始まりました。この訓練は語学がメインで、そのほか国際協力関連の講義や、途上国で自分の命を守るための衛生・保健・治安講座、そのほか10種類近い予防接種、体力向上のための毎朝のランニングなどのカリキュラムからなっています。
毎朝6時半に集合してラジオ体操とランニング、その後朝食、8時45分から11時45分まで語学、午後は13時から14時50分まで語学、15時10分から17時頃までその他講義、さらに夜は21時まで自習時間または講義と息つく暇もないスケジュールです。講義のレポート課題も次々やってきます。館内禁酒、門限厳守など規律も厳しく、授業に5分遅れるだけで反省文を書かされたり、1回の無断外泊で即訓練中止(同時に協力隊の受験資格を永久に失う)になったりします。この程度の規律を守れない人は、途上国で自分の身を守れず周りにも迷惑をかけるからというのがその理由です。
確かに勝手な行動が途上国では命に関わるというのはその通りだと思いますが、時間に余裕が全然無いのは正直辛かったです。特に訓練最初の1週間がつらく、その1週間で訓練を辞退した人も何人かいました。

合格時に健康面で条件が付いた人は、この訓練中にその条件をクリアできなかった場合派遣延期になります。具体的にはコレステロール値を下げる(体重改善)、赤血球を増やす(貧血改善)、虫歯の治療を完了させておく、などです。健康面の問題が訓練終了までに解決する見込みが無くなり、訓練を中止せざるをえなかった人もいました。

肝心の語学ですが、意外にも語学が理由で派遣中止になったという例はあまりないようです。もちろん派遣が延期になった例はありますし、語学が出来ないと苦労するのは自分ですので、なめてかからない方がいいです。

講義風景です。毎回、約230人の訓練生が講堂に集まって講義を受けます。福島県二本松、東京都広尾にも訓練所があり、テレビ電話を使って3訓練所一斉に講義が行われることもよくありました。

協力隊は20歳から39歳まで応募できますが、実際に多いのは20代半ばくらいの人で、30代はもう「年配者」という感じでした。そして、男性より女性が圧倒的に多いです。この時は平均年齢27歳、男女比3対7くらいでした。また、春の訓練ははちょうど学期の区切りと合うので教職の人が多くなります。この時は約半数が小学校教諭や体育など教職の人でした。

自分より若い人、それも女性が多い、しかも皆健康面でのチェックをパスしてきているので不健康そうな人がいないという訓練所の環境は、コンピュータ関係の職場とは全く正反対の環境で本当に華やかでした。
食事は3食とも食堂です。調理は業者の人がやってくれますが、盛りつけや片づけは訓練生が当番制で行います。駒ヶ根訓練所の食事は大変おいしく、女性陣は皆体重コントロールに苦労しているほどでした。また、体育職種の人の食べっぷりはやはりすごかったです。

風呂は男女別の大浴場がありました。朝もやっていて、ランニングの汗を流すこともできます。20代前半が多い男子風呂は、毎晩もう修学旅行みたいな騒ぎでした。

夜は11時の消灯までのわずかな自由時間は、スポーツをしたり、稽古事をしたり(体育教師や音楽教師がたくさんいたので)、メールを書いたり、語学の勉強をしたりと皆それぞれの過ごし方をしていました。訓練所でできたカップルが恋語らいをしている光景もありました。20代の未婚の男女が多く集う訓練所では恋に落ちるカップルも少なくありません。この現象は「駒ヶ根マジック」と呼ばれています。ちなみに二本松訓練所のはは「二本松ミラクル」と呼ばれています。
毎日の語学の授業は、少人数でとても内容の濃いものでした。自分のいたクラスは生徒6人、先生(写真右上)1人のクラスです。写真を撮った日は真ん中の彼女の誕生日でした。

「駒ヶ根訓練所で誕生日を迎える」それは多分その人の人生の中で、祝ってくれた人の数がかなり上位に入るイベントになります。230人もいるともう毎日のようにそこらかしこで誕生日を迎える人がいて、13ある生活班や、語学クラス単位で熱のこもった誕生会が行われていました。
日曜以外で唯一、夕方から消灯までの時間の外出が認められている土曜の夜は、生活班単位・出身地域単位・職種単位などなど様々なグループで駒ヶ根市街に飲みに繰り出しました。当然破廉恥なエピソードも数多く・・・。門限が夜10時なので二次会に行く時間はなく、皆一次会で浴びるように飲んでいました。

門限の際の人数チェックは当番制の日直の仕事ですが、酔った面々が帰所の報告を忘れたまま敷地内で行方不明になることが多く、毎週彼らを探すのに日直は随分苦労していました。

写真は駒ヶ根高原にある地ビールレストランです。居酒屋然とした店がほとんどの駒ヶ根市において、ここは地ビールもドイツ風の料理もおいしく、雰囲気もよく、訓練生はよくお世話になっていました。
日曜は皆小旅行に繰り出していました。駒ヶ根は中央アルプスのふもとの町なので、町の背には3000m級の山々が連なっています。あいにく訓練所では怪我で派遣延期になりかねない山岳登山は禁止されていましたが、ロープウェーで千畳敷カールに上ることはできました(このときは少しシーズンを外していましたが)。そのほか温泉や駒ヶ根高原、光苔で有名な光前寺、近くにある養命酒の工場などがあり、訓練生同士や、はるばる尋ねてきた友達と皆出かけていました。

ある週末、有志が希望者を募って、近くで行われるマラソン大会に参加するというイベントもありました。自分も5kmのコースに出ましたが、山あり谷ありの丘コースだったので訓練所で毎朝3kmジョギングしている割には随分こたえました。
訓練では、野外訓練というものもありました。1泊2日の日程でキャンプ場でテント泊をし、鳥の解体や飯ごう炊飯などを体験しました。写真は鳥の血抜きをしているところです。夜はキャンプファイヤーを囲んで230人が皆踊りまくりました。
野外訓練の2日目はオリエンテーション(地図に書かれたマークを探して野山を歩くゲーム)です。中央アルプスのふもとの山林を、数名のグループで一日中歩き回りました。

このほか、訓練では近隣の農家や学校、福祉施設で3,4日奉仕活動をする「所外活動」というカリキュラムなどもありました。
7月2日で、79日間の訓練が終了しました。最終日は東京・名古屋・大阪各方面別のバスに乗って訓練所を後にします。訓練の最後には皇太子ご接見などのイベントもあり、とてつもなく多くの出来事があった長い79日間でした。
訓練のカリキュラムだけでなく、訓練生の間で様々なイベントが次々と企画されて、そのエネルギーに驚かされつづけた79日間でもありました。そういえば自分も、パソコン関連やら任国研究やらで2,3イベントを起こしましたね。イベント競争みたいな熱気が訓練所にはありました。

ニジェールに着くまで

訓練が終わった7月2日に、そのまま実家に戻りました。ニジェールへの出発は7月11日早朝なので、あと8日で荷造りと、別送荷物の発送と、出身県庁・市庁訪問と、会社への挨拶と、もろもろ友達との飲み会と、集合場所の東京への移動をこなさなければなりません。これはめちゃくちゃ大変でした。もう少し余裕を持たせて欲しいところですが、あんまりもたもたしていると語学を忘れてしまうので早く出発させているそうです。

7月11日は箱崎のTCAT(東京シティエアーターミナル)に集合して、そこから成田空港にバスで移動です。この後パリ経由でニジェールに着くのですが、実は今回パリでオーバーブッキングを食らって、ニジェール隊は丸4日間パリで待ちぼうけを食らいました。JICAからは赴任途中なので遠出はするなと言われましたが、手持ちのお金はニジェール用なのでJICAに言われるまでもなく「使えるお金が無い」という問題があり、ルーブル美術館を見たりセーヌ川くだりをしたりといったあまりお金のかからないパリ観光をして4日を過ごしました。
7月17日朝、ようやくニジェールへ向けて出発です。7月17日午後6時、日本を発って6日後にニジェール隊はようやくニジェールに到着しました。


パリのエッフェル塔

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