発展途上国、特にアフリカへの援助について

アフリカへの援助についてよく聞かれることをまとめました。


アフリカは多くの人が貧困にあえいでいるのだから、コンピュータ教育の援助などせずに食料や医療の援助をもっとすべきではないのか?

食料と医療は人が安心して生きられるために最低限必要なものなので、もちろん重要です。しかし同時に、情報化の進む世界の中でアフリカの国々が自立し発展していくためには 情報通信分野についても人材を育てることが必要です。 東京では石を投げたらコンピュータの技術者に当たるのではないかと思うほど人材はごろごろしていますが、アフリカの国々では国中探しても十分な知識と経験を持つ技術者ははとんど居ないのです。

アフリカの人々は常に飢えているのではないのか。

テレビの影響で、アフリカというと飢饉で飢えているイメージがありますが、実際は食糧事情はそんなに悪くありません。基本的には植物や動物が育ちやすい気温なので、水さえあればどんどん食べ物は作れます。市場には色とりどりの野菜や果物があふれていて、ヨーロッパに輸出するほどです。太っていることが豊かさの証と考える風習もあるため、肥えている人も多く見かけます。

しかし、治水技術が十分でないことや、イナゴの大量発生などの天災があるために、局所的に食料不足が発生することがあります。流通が十分でないために、食料不足に陥った地域は、すぐ近くに食料が余っている地域があっても賄ってもらうことも満足にできません。特に自給自足の農民はもろに影響を受け、飢餓に対する耐性のの無い赤ちゃんや子供が真っ先に犠牲になってしまいます。そういう意味で、飢饉はアフリカの全てではありませんが、アフリカに現実にある問題ではあります。

アフリカの国々はなぜ貧しい?

これには色々な議論がありますが、私が知っている限りでは以下のような原因が挙げられます。

・奴隷貿易時代に若い成人が数多く流出したため、その後の植民地化と独立の時代に十分な数の人材がいなかった

・中南米に比べヨーロッパ諸国による植民地支配の期間が短く、国家の運営を担うエリートの養成や道路などの社会基盤の整備が十分でないままに独立してしまった

・密林が多く、地域間の交流が少なかったため、大きな国家が形成されず文化や教育、経済の基盤が育たなかった

・風土病が多く、他の文明との交流が少なかった
 ※ヨーロッパ人でさえも、本格的にアフリカに入るようになったのは黄熱病などのワクチンが発明された18世紀以降になってから。それ以前に行われていた奴隷貿易でもヨーロッパ人は海岸までしか来ず、内陸での活動はもっぱら現地の人が行っていました。 なお、ヨーロッパ人が入る前はサハラ砂漠を越えるラクダのキャラバンがサハラ以南アフリカとヨーロッパ・地中海との主な交流でした。

アフリカの歴史を知れば知るほど、中国という大国が隣にあり、シルクロードによる他文明との交流の恩恵を受けられた日本は幸運だったのだなと感じます。


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