Peruペルーのあらまし

南アメリカペルー

ペルーは南米大陸の中央西側に位置しており、エクアドル・ブラジル・ボリビア・チリと国境を接している。国土は大きく分けて3つの地域に分かれ、一つは首都リマのある砂漠の多い海岸地帯、一つはマチュピチュのあるアンデス山脈の高地、一つはアマゾン川源流のある熱帯性のアマゾン地帯となっている。

現在多くの遺跡が見つかり、主な観光ポイントとなっているのは首都リマ、地上絵のナスカ、マチュピチュ、旧インカ帝国の首都クスコ、そして浮島に人が住む湖「ティティカカ湖」のあるプーノだ。

歴史と政治

インディオは遠くアジア大陸から北米大陸を経て南米大陸に移住してきたと考えられている。実際純血インディオの子供には蒙古斑があり、また顔つきにもアジアの雰囲気が感じられる。その後、南米のいたるところで小さな文明が花開く。その一番の例が西暦100年〜800年頃のナスカ地方のナスカ文明で、鮮やかな色彩の土器や織物、そして巨大な地上絵はよく知られるところになっている。

インカ帝国

1300年代(不確か)、クスコを中心に太陽神信仰を基盤としたインカ帝国が興る。支配地全土をインカ道と呼ばれる街道で結んだり、飛脚のように人がリレー式で物を運ぶチャスキと呼ばれる情報伝達網を整備したことによって、瞬く間にインカ帝国は南米を統一した。

インカ文明の特徴として、文字を持たなかったことが挙げられる。同じインディオの文明でも中米のマヤ文明では文字が発達したが、インカでは太さや結び目の数で数字を表す縄を使っていただけで文字は使われていなかった。

スペイン人による植民地化

1500年代、インカ帝国はその栄華を極めていたが、北部海岸地帯から侵攻してきた二百数十人のスペイン人ピサロの軍にあっさり敗北してしまった。確かにピサロの軍は銃や騎馬など近代的な武器を持っており、バットのような物で殴り合うことしかできないインカの軍に比べれば一人あたりの武力は高かったが、ピサロ軍二百数十人に対しインカ軍は数万の兵力を誇っており、そのままではインカは負けることは無かったはずだった。

この敗北のもっとも大きい原因は、インカ皇帝に反目している一陣がピサロ側についてしまったことだった。そのほかインカの帝国支配に不満を持っていた一部の地方の王もピサロ側についたため、インカ皇帝亡きあと帝国は急速に崩壊してしまった。

スペイン人の侵攻の目的は、金銀の搾取とキリスト教の布教だった。そのため、インカ帝国の金・銀製の遺物はほとんど全て溶かされてヨーロッパに送られ、現在はほとんど残っていない。また、キリスト教布教のためインカの宗教関係の建物は徹底的に破壊され、関係者は皆殺しに、また上で挙げた縄もほとんど焼き払われてしまった。当時の宗教関係者は知識人でもあったため、この皆殺しによってインカ文明の中枢の情報を知る人がいなくなり、西暦1500年まで存在したにもかかわらずインカは謎の多い文明になってしまったのだ。

独立国ペルーの誕生

その後の植民地政策によりインディオは徹底的に搾取されたが、1800年代になると南米各地で独立の機運が高まり、独立国ペルーが誕生した。一次産業に頼る不安定な経済や相次ぐテロにより独立後の道も平坦ではなかったが、1980年代からのフジモリ大統領による経済対策やテロ対策により、現在庶民の暮らしは向上しつつある。

個人旅行はしやすい?

公共交通機関、特に鉄道は未発達で頻繁かつ唐突に大幅な遅延・運休を起こすため、日程にかなり余裕があるのでなければ個人旅行は危険だろう。治安面では、テロはかなり鎮圧されたものの観光地以外の治安は悪いため、テレビ番組のような無銭旅行は期待しないほうがいい。

したがって、トレッキングや川下り、アマゾン観光など既存のツアーでは出来ないことをしたい場合のみ、自分で航空券と現地ツアーを組み合わせて行くのが最善だろう。

なお、日本人は観光ならばビザが不要、予防接種なども不要。飛行機で24時間以上と地理的には遠いが、行こうと思えば必要な手続きはアフリカやインドなどより少ない。

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