青年海外協力隊 ニジェール活動日記

2005/10/05〜2005/12/23



夕日のニジェール川に浮かぶ遊覧船

フランス語圏文化スポーツ大会開催

今年の年末には、いよいよニジェール建国以来の一大イベント、2005年フランス語圏文化スポーツ大会(通称フランコフォニー2005)が首都ニアメで行われます。今年の9月には大統領が「12月に予定通り大会を行う」と宣言して、フランコフォニー2005のニジェールでの開催が正式に決まりました(それまでは、ニジェールの準備が間に合わない場合に備えて隣国ブルキナファソで開催することも検討されていたのです)。

ニアメではこの大会に合わせて道路の新設や拡張、各会場の改修、選手村の建設などが行われ、多くの外国人向けホテルも増築が行われました。スーパーマーケットも1軒新たにオープンしましたし、銀行も2つ新しく支店が出来ました。主要な交差点に各国の国旗を付けるポールや時計台が立ったり、市場の露店街が撤去されて臨時のおみやげ物街が作られたりと日々刻々と大会開催に向けた準備が進んでいるのを見ると、大会が近づいて来ていることを実感します。果たしてニジェールは無事大会を成功させられるのでしょうか!?

今回はこの大会の模様と、10月にあったラマダン(断食月)、青少年活動隊員による日本文化祭、大会前に行われたアフリカファッション国際フェスティバル「FIMA」を紹介します。

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ラマダン(断食月)

今年のイスラム教のラマダン(断食月)は10月の初めから11月の始めまででした。 ラマダン期間中、ムスリム(イスラム教徒)は日の出から日の入りまでの飲食が一切禁じられるため、皆朝暗いうちに朝食を摂り、日中は水一滴も口にしません。夕食は日が沈むとともにまず胃を慣らすためのジュースを飲み、少ししてから食事を始めます。

ラマダンは信徒が神への帰依心を明確に示す重要な期間として位置づけられていて、普段あまり礼拝をせず酒も飲んでいるムスリムもこのときだけは皆真面目に断食を守っています。ちなみに夫婦の営みも同様に日の出ている間は禁じられます。妊婦、病人、旅行者は断食しなくても構いませんが、後で同じ期間だけ断食をしなくてはいけません。子供は断食をしなくても構いません。断食は中高生くらいから徐々に始めるそうです。

ラマダン期間中、官公庁や企業では昼休みを無くしてその分早めに(午後3時頃)終業します。ただし学校は生徒が断食をしないのでいつもどおりです。市場も様子が変わり、普段 夕方の市場は売り物があまり残っていなくて今日はもう店じまいといった雰囲気なのですが、この時期の夕方の市場には人も物もあふれていて活気があります。夕食用の粉ジュースの袋もあちこちで売っています(粉ジュースは1リットル用で20〜30円と安い)。職場が従業員に砂糖を配る習わしもあり、 私の配属先のEMIGではニジェール人スタッフに角砂糖のパックが配られていました。断食月といっても、実のところ期間中の食料消費量は普段の時期より多くなるそうです(つまり昼間断食しても夜それ以上に食べているということ)。

この時期隊員が第一に困るのが昼食です。外国人向けの高級レストラン以外の食堂はほとんど昼間営業しないので、基本的に家で自炊するしかありません。学校配属の隊員なら昼休みがあるのでまだそれが出来ますが、官公庁配属の隊員は昼休みが無いので午後3時の終業までは断食に付き合うことになります。

そして第二に困るのが、この時期同僚が空腹でほとんど働かず、また不機嫌になってしまうことです。去年は赴任直後で仕事が少なくあまり気づかなかったのですが、今年は仕事 をたくさん抱えていたのでこのことを痛感しました。職場は朝から既に気だるい雰囲気があり、正午以降はもうほとんど全く動きません。同僚に何か頼み事をしても明日にされます。一度、同僚と午後一緒に何か作業をやろうとした時は「お前は帰って昼ご飯食べなきゃいけないだろう?だから今日は出来ないよ。」と自分をだしにされて断られました。自分のカウンターパートはこの時期に禁酒禁煙もするので日中非常に機嫌が悪く、嫌みを言われたりしてかなりフラストレーションが溜まりました。

イスラム歴は太陰暦なので、太陽暦のカレンダーと比べると毎年10日前後ずつ早くなっています。あと15年もすれば酷暑の時期にラマダンが行われることになるでしょう。いったいどうやって日中水を飲まずにあの季節を過ご せるのでしょうか。イスラムの神も酷なことを定めたものです。

隊員はラマダン期間中、ニジェール人から断食を一緒にしろ、何でしないんだとかなりしつこくあちこちで言われます。断食は苦しくて体調も崩れるので実践する隊員はあまりいませんが、断食に付き合うと周りのニジェール人に非常に喜ばれるそうです。

ニアメ一大きいモスク、グランドモスケで朝9時に行われたラマダン明けの礼拝。モスク周辺の広場いっぱいに人が男女別で集まって、一斉に礼拝をしていました。この礼拝は非常に重要で、普段身近な場所で礼拝をしている人もこの時だけは大きなモスクまで遠出をして礼拝します。大統領もこのグランドモスケの礼拝に来ていました。

タウア日本文化祭

首都ニアメからバスで6時間、サハラ砂漠の玄関口の町タウアで隊員による日本文化祭が行われました。ここの写真は全て昼間のリハーサルの時のものなので人がまばらですが、夜の本番では観客席 から人があぶれるほど子供達で会場がいっぱいになり、格闘技のデモンストレーションや地元の小学生の劇、クイズ大会、隊員によるソーラン節のデモンストレーションなどを皆興奮して見ていました。

会場となったタウアのMJC(青少年文化センター)です。MJCはニジェールの各主要都市に設置されていて、現在タウア、フィレンゲ、ティラベリ、ドッソの4ヶ所のMJCに青少年活動隊員が派遣されて活動を行っています。

青少年活動の内容は、青少年を対象に衛生知識や算数などを教えたり、柔道や剣道などのスポーツを教えるなどの方法で彼らの文化的生活のベースアップを図ることです。 算数などもやるのは、MJCは学校に行っていない子供達の受け皿という意味もあるためです。図書館が併設されているMJCもあります。

テコンドーのデモンストレーション。ニジェールではテコンドーが広く教えられています。テコンドーは韓国のものですが、今回は日本文化祭の中で一緒に紹介することになりました。
柔道のデモンストレーション。タウアには柔道を教えているニジェール人が居ます。床に敷いてあるのは畳代わりの硬いスポンジです。

青少年活動隊員2名による合気道のデモンストレーション。手前の隊員は合気道、奥の隊員は剣道の心得があります。現地の子供達に生身でぶつかってゆく青少年活動の隊員は皆芸達者です。

クイズ大会の大混乱

クイズ大会の時に起きた大混乱で、ニジェールの子供の怖さを感じました。クイズ大会は景品付で、ステージに小学年齢の子供達を集めて○か×かを選んで正解した方が残っていく形だったのですが、正解が発表された途端に正解の方に紛れ込もうとする子供が続出し、観客席や控え室のほうから紛れ込もうとする子供もたくさんいて、隊員十数名とニジェール人警備員数人がかかりっきりで見張っても全く効果が無く、何度クイズをやっても人数が減らない状況になりました。 女の子など制止するとこちらをにらみつけてくる始末です。

それでも厳しく取り締まって数は減っていき、なんとか優勝者を絞れましたが、会場の反応からするとどうも対象でなかった中学年齢の子が優勝してしまったようです。いくら子供とはいえ、ここまで欲望むき出しで無秩序に行動されるとは思ってもみませんでした。彼らの多くが今後も教育を受けることなく大人になると思うと、 少し末恐ろしくなります。


ニジェール人の日本理解

日本文化祭の話題が出たところで、ニジェール人の日本理解について少し書こうと思います。

始めに言っておくと、一般的なニジェール人は日本のことをほとんど知りません。一般的な日本人がアフリカのことをほとんど知らないのと同じです。自分たちのいるアフリカでもなく、フランス人のいるヨーロッパでも無い遠いところにある国で、白人ではない人々が住んでいて、非常に発展している、くらいの認識です。中国と日本が同じ国だと思っている人もいます。ジャッキーチェーンやカンフーが日本のものだと誤解している人も多いです。

テレビや車を見る機会がある首都ニアメの人たちはもう少し詳しくて、トヨタが日本の会社だということを知っています。タクシーの運転手にお前は中国人か日本人かと聞かれて日本人と答えると、「トヨタ、セボン!(トヨタの車は最高だ!)」と褒められることがよくあります。運転手でなくても日本といえばトヨタの名が上がり、ニジェールでの日本の名声はトヨタ様々といったところです。ニジェールのニュースでは去年の日本の地震や台風、列車暴走事故なども流れていて、「日本は地震も台風もあって大変なところだな!」「あんなに発展している日本で、なんで列車事故なんて起きるんだ?」と言われたこともありました。

中等・高等 教育を受けている人は日本の歴史も結構知っています。ヒロヒトという名前も出てきますし、ナガサキ・ヒロシマも知っています。日本が韓国・中国を植民地化したことも知っています。ただこのレベルの人でも日本と中国で言葉が違うと知っている人は少なく、日本人だと言うと「ニーハオ」と挨拶されることがあります。

ニジェールはイスラム教徒が人口のほとんどを占めているので、人々はイスラム教以外の宗教をよく知りません。世界中どこでもモスクがあって、人々は自分たちと同じように毎日礼拝をして、ラマダンの時は断食をしているものだと思っています。だから日本の宗教は仏教と精霊信仰(神道のこと)で、イスラム教徒はほとんどいないよと言うとびっくりされます。私のカウンターパートですら、日本にはモスクはほとんど無いと言っても全然信じてくれませんでした。

ニジェール人の日本理解というのはこの程度です。次に書きますが、ニジェールではとにかく中国の存在が大きくて日本は霞んでしまっているという感じです。

中国の存在

ニジェール人に身近なのは中国です。市場には中国製の商品があふれていて、テレビではカンフー映画が頻繁に上映されています(他にはインド映画が多いですが、インド人と東洋人は区別されているようです)。 ニアメ市内には中国の援助で作られたスタジアムやスポーツ施設があり、貴重な公共施設としてよく使われています。いくつかの国立病院では中国人医師がボランティアで働いています。日本もニジェール政府に米を寄付したり、資金援助をしたり、小学校を建設したりはしていますが、大衆への露出度という点では中国が圧倒的に上手です。

町を歩くと「シノワー!(中国人!)」「シン!(中国!)」「ヒーハオ!(ニーハオの悪い発音)」「チャンチョンピャンピョン・・・(中国語の真似)」と大人子供問わずからかってきます。彼らにとっては外見から区別を付けるのが難しいということもあり、初対面で日本人が日本人だと気づいてもらえることはまずありません。

もっとも、ニジェール人にとって中国の印象は決して良くはないようです。中国製の商品の質の悪さにはニジェール人も辟易しているためです(それでも背に腹は代えられず安い中国製を買わざるを得ないのですが)。

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