青年海外協力隊 ニジェール活動日記 2005/10/05〜2005/12/23

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バスケットボール・卓球

バスケットボールは女子のみの競技です(逆にボクシングとリュットは男子だけ)。こちらは白人勢が強かったです。

このバスケット場は以前からあったのですが、床があちこち抜けてとても使える状態ではなかったので、今回大会に合わせて全て床を張り直しました。

柔道と同じ会場で行われた卓球。写真はニジェール対ベトナムですが、力の差は歴然としていてニジェールはベトナムがサーブミスしたときしか得点が入らず、大差で敗退してしまいました。
モロッコの選手。イスラムだから髪の毛も腕も覆っているのでしょうが、スポーツでもそれというのは大変そうです。ちなみに彼女の腕は確かで、この時は相手を打ち負かしていました。

文化部門

歌唱部門。毎晩4チームが30分交代でコンサートを行いました。
アフリカ勢は、モダンミュージックを披露する国と、伝統音楽を披露する国とがありました。
ダンス部門。写真はブルンジ国のダンス。太鼓を頭に乗せたまま叩いて踊っています。ジャンプやバック転などのパフォーマンスもあって大変楽しいダンスでした。
ベトナムのダンス。中国風です。
セネガルのダンス。伝統色の無いモダンダンス です。セネガルにはこういったダンスを指導できる人がいるのだなぁと感心しました。もっとも、モダンダンスはメッセージ性が強すぎて、ダンスを普段見ない自分はいまいち楽しめませんでしたが。
コント部門。コントはフランス語が達者でないといまいち楽しめないのですが、写真の彼は格好からすでに可笑しく、動きもコミカルで十分楽しめました。チャドの選手です。
彫刻部門。モロッコの土の鶏です。ちなみに大会後一般向けに売られていました。
同じく彫刻部門、コンゴの作品です。
絵画部門、コートジボアールの作品です。

選手村

選手村はニアメ中心部から20分ほどの郊外に作られました。広さは一つの町ほどもあり、白壁の一戸建てが街路沿いにずらりと並び、敷地内にはレストラン、スーパー、おみやげ物店まであり、選手や関係者は会場と選手村の間を専用バスで往復するだけで全てが事足りるようになっていました。宿舎は大会終了後は一般住宅として使用される予定で、既にかなり買い手が付いているとのことです。

大会期間中の特別業務態勢

大会期間中、ニアメの官公庁はラマダンの時と同じ昼休み無しの午後3時終業となり、大会のイベントに参加できるよう配慮されました(大会の平日のイベントはほとんどが午後3時以降にスケジュールされています)。ニアメの隊員の多くは仕事が終わると毎夕大会イベントに繰り出していました。

学校は普段通りです。ただし配属先のEMIGは学生宿舎を大会に提供するため期間中休学になり、学生は大会前に学校が仕立てたバスで強制帰省させられていました。カウンターパートや同僚は休みにはならなかったので、大会期間の午前中は今まで時間が無くて出来なかったLinux勉強会を開くことができました。勤務スケジュールは官公庁と同じ昼休み無しの午後3時休業でしたが、皆正午に昼ご飯を食べに帰ってそのまま戻ってこないので、実質午後は休業状態で した。

もう一つの活動先、カルマハロ技術訓練校は生徒宿舎を大会に提供するけど休学にはならない(つまり自宅から通勤せよということ・・・通学費が出せる生徒がいるはずもないのに!)というよく分からない方針で、結局大会期間中は生徒が登校してこなかったので休学状態でした。同期の体育隊員の配属先であるINJS(体育師範学校)は講師が大会関連の仕事で拘束されるため、なんと10月の新学期 開始から大会終了までの3ヶ月間休学となってしまい、隊員はかなり暇をもてあましていました。

他の都市は、最寄りの主要都市のドッソがニアメ同様昼休み無しの3時終業(ただし終業してもドッソではイベントをしていないのでテレビを見るだけですが)になっただけでそれ以外は通常通りで、ニジェール国の一大イベントといってもニアメ以外の場所ではそれほど実感がなかったようです。


大会が終わって

大会は12月7日から17日まで、大きな混乱もなく無事に終わりました。もちろん外部から相当な人的、金銭的援助が行われた結果ではありますが、これだけの大きなイベントを自国で開催できたというのは今後ニジェール政府にとって大きな自信になるに違いありません。

対外的な効果ですが、残念なことにニジェール以外ではこの大会のことはほとんど報道されておらず、隣国ブルキナファソの隊員ですら「そういえばそんな大会があるようなことを聞いたことがある」程度です。フランスのアフリカ向けチャンネルも見ていましたが、リュットの一コマ(確かフランス人選手がアフリカの相撲に出場したとかいう話題で)が1回流れただけです。外国からの観客もあまり来ず、観光客目当てに増築したホテルなどは閑古鳥が鳴いて困っているそうです。 このことからも、今回の大会の意味するところはフランス語圏の先進国が最貧国ニジェールの国威高揚のために仕掛けたイベント、ということになりそうです。

大会を通じて感じたのは、ニジェールの人があまり会場に来なかったということです。同僚やタクシー運転手などに理由を聞いたのですが、テレビならタダで見られるのに交通費や入場料をかけてわざわざ会場に行く気にはなれな かったようです。もちろんたった500フランセーファ(約100円)の入場料でも彼らにとっては4〜5回分の食事代に匹敵するわけで、ギリギリの生活をしている以上やむを得ないのかもしれませんが、それにしてもガラガラの観客席を見ると寂しい感じがしました。

隊員としては、とにかく色々な国のスポーツや芸術作品を見られてラッキーだった!の一言です。特に日本では直接見る機会のほとんど無い、アフリカの国々の芸術作品が見られたのは貴重でした。FIMAとフランクフォニー、この2つが同時に行われた2005年の年末にニジェールに居たことは本当に幸運でした。

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