青年海外協力隊 ニジェール活動日記 2006/06/03〜2006/07/21 |
協力隊員は任国から日本までの帰路の途中に最大2週間、第三国を旅行することができます(通称『帰路変』)。JICAとしては研修旅行という扱いで、旅費は自分持ちですが帰路変期間も日本での積立金や現職参加の給与補填の対象期間にカウントされます(2006年7月時点)。
行き先は自分の任国に戻るのでなければ基本的にどこでもOKです。ただしJICAの管理下での旅行ですので、JICAが渡航を禁止している国や地域には行けません。旅行中も常に連絡先を現地のJICA事務所に連絡する義務があります。
一緒にニジェールを出発した6人の同期のうち4人は、制度上帰路変ができない公務員の現職参加だったり、帰路変の権利はあるけど重い帰国荷物を持って旅行するのを嫌って日本に直行することを選ん でいたので、パリの空港で別れて一足先に日本に向かいました。帰路変をするもう1人も、帰国日は同じですが旅行先が違うため、パリの日本大使館でパスポート を公用から一般に切り替え、スーツケースを日本に送る手続きをした後に別れました。
今回 自分が選んだ帰路変旅行先はモロッコです。 モロッコはニジェールと同じイスラム教の国ですが国力ははるかに強く、ニジェールといったい何が違うのかずっと興味がありました。実はニジェール隊員は任期中でも任国外旅行でモロッコに行けるのですが、自分の場合はセネガル・ブルキナファソで日数を使い切ってしまったため行けなかったのです。
任国外旅行でモロッコに行ってきた隊員は皆口をそろえて「モロッコはすごい!」と絶賛していました。でも言うほど違わないんじゃないかと思ってたのですが・・・全然違いました。
パリからまず飛行機でモロッコ第2の都市、マラケシュに入りました。モロッコは元フランスの植民地で、今でもフランスとの経済的な結びつきが強く、パリ−カサブランカ間は一日11便、マラケシュ便が8便、そのほかの主要都市にも毎日2、3便づつ飛んでいます。もうこの時点で、パリ便が首都ニアメのみ週2便のニジェールとはずいぶん違います。
マラケシュの新市街。 高層ビルこそ無いですが、車も建物も皆ピカピカで、歩道にはヨーロッパのようなカフェもあります。パリと比べても違和感がなくて、まるで先進国! | |
マラケシュ旧市街にある宮殿の壁の彫刻。モロッコのモスクの彫刻はどれもすばらしく手が込んでいます。 | |
アトラス山脈の南側にある世界遺産アイト・ベン・ハッドゥ。アトラス山脈の北は緑が豊かですが、南側はニジェールと同じサハラの風景が広がっています。 | |
アイト・ベン・ハッドゥの内部。ニジェールで見慣れた土作りの建物です。 | |
厳しい気候の中、人の住んでいるところだけは緑が広がっています。ニジェールでは見かけない光景です。 | |
緑が豊かなわけは、用水路にありました。地下水をポンプで揚げて、用水路で各畑に通しているのです。 山脈が近いためニジェールより地下水が豊富なこともあるのでしょうが、ポンプも用水路も無く、人手で井戸から水を汲んで畑までバケツで持ってゆくニジェールとのインフラの違いを実感しました。 |
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巨岩が覆い被さるようにそびえ立つトドラ渓谷。 | |
サハラ砂漠の入り口にある大砂丘、メルズーガ。この砂漠の向こう はニジェールです。昔は多くの隊商がこの砂漠を越えてマリ帝国に向かったのでしょう。現在はほとんどがトラック輸送になりましたが、遊牧民族は今なお何ヶ月もかけてラクダでこの砂漠を越えています。 | |
ここでは砂漠観光ツアーに入りました。ラクダに乗り、砂丘を上ったり下りたりしながら砂丘地帯の中にある宿泊用テントに向かいます。
うまくクッションの上に座らないと、おしりが痛くなります。 写真の左のラクダは、途中で突然暴れ出して乗っている人を振り落としてしまい、ラクダ使いになだめられていました。 |
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宿泊用テント
。夕食と朝食が出ます。食事は大皿で、夕食がモロッコ風のチキンと野菜のトマト煮、朝食はパンと紅茶です。シャワーは無く、トイレも簡易トイレが1つあるだけです。水道も無いため皆ミネラルウオーターをたくさん持ち込んでいました。 ツアーの他の観光客は結構この不便な生活を楽しんでいたようですが、自分にとってはニジェールでさんざん味わった不便さと同じで珍しくなかったので辛さが先に立ってしまい、 旅行の時くらい楽をしたい!と心底思ってしまいました。 |
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地中海側の古都フェズに行くために、再びアトラス山脈を越えます。アトラス山脈の中
は森林が広がっており、標高が高いため気温も低く、とてもモロッコにいるとは思えません。 モコモコの羊(毛皮が取れる羊)もたくさん放牧されていて、本当にまるでヨーロッパのようです。ニジェールにはモコモコの羊はいません。 |
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古都フェズの皮なめし工房。 牛や羊の皮を様々な色に染めています。大規模な工房なのに、未だにほとんどの工程が手作業で行われているのに驚きました。また、昔からこれだけの規模の工房が成り立つほどの需要があったという点にも感心させられます。 | |
モロッコでイスラム教徒による最初の首都となった町、ムーレイ・イドリス。手前に平地はいくらでもあるのに、わざわざ山 に町を作ってあります。たぶん防衛上の理由なのでしょうが・・・モロッコではこのように山肌に町を作ってあるのをよく見かけます。 | |
ムーレイ・イドリスの近くにある世界遺産のローマ遺跡、ヴォルビリス。モロッコがかつてローマ帝国の一部だったことを示しています。そのころから多くの知恵と文化がモロッコに流れ込み、今の反映の礎を作ったのでしょう。 | |
地中海沿いの山間の小都市シャウエン。扉や家の壁の色が青と白で統一されており、非常に美しい町並みになっています。標高が高いので蒸し暑さも無く、快適でした。 でもこんな町でも、インターネットカフェにはブロードバンドが来ていました。モロッコはやっぱりすごい! |
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首都カサブランカの中央公園。巨大で膨大な数の並木が植えられていました。 | |
絢爛豪華なハッサン2世モスク。 天井はかすんでしまいそうなほど高く、しかも開いて天日を入れられるようになっているそうです。1993年に完成し、総工費はなんと1000億円。 |
モロッコはニジェールとはかなり違っていました。南部のサハラ砂漠ではニジェールによく似た風景も見られましたが、それでもどの町にも電気が来ており、道路はきれいに舗装されており、 ブロードバンドのインターネットカフェもどの町にもあります。物売りの子供の数もそれほど多くはありません。 マラケシュ・フェズ・メクネスの新市街やカサブランカはもう先進国そのものです。現地の人も100円、200円するフレッシュジュースやサンドイッチを普通に店で頼んでいたので、所得もかなり高いようです。
地中海のやや内陸にあるフェズやメクネスはニジェール並みにめちゃくちゃ暑かったですが、どこでもよく冷えたミネラルウオーターを売っており、ビルや列車、バスの中はクーラーが効いていてそれほど苦ではありませんでした。意外なことに海沿いのカサブランカは非常に涼しく、クーラーが無くても全然平気でした。大西洋岸は海水温度が低くて空気が冷やされるんでしょうか?
あと、モロッコ人は非常にサービス熱心です。 もちろんアジア人を馬鹿にしたような態度を見せたり、サービス内容で揉めたときなど喧嘩腰になったり威圧的な態度をとってくる人もいましたが、全体的にはホテルもレストランも、商店、タクシーもイライラすることなく気持ちよく利用できました。さすがに観光で儲けている国だけはあります。
もちろんたった1週間の観光旅行ではその国のことはうわべしか分かりませんが、少なくともニジェールよりはかなり恵まれている国だと言うことは十分実感できました。
7月20日にカサブランカを発ち、パリで日本行きの飛行機に乗り換え、7月21日金曜日の夕方に無事成田空港に到着しました。