青年海外協力隊 ニジェール活動日記 2005/07/10〜2005/09/11

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カレゴロ地区の村訪問

ニアメ近郊にある村を訪問する機会があったので、その様子を紹介します。

今回訪問した村の一つ、バラティ村の様子。第6号報告でも訪れた村です。

バラティ村は川沿いにあり、人の移動にピロッグ(イカダ)も使われています。
村の子供達。ここは上のバラティ村とはまた別の村です。
村の貯蔵庫を見学させてもらいました。
貯蔵庫の中の様子。ミレットが保存されています。
臼でミレットをついているところ。
ミレットの穂。収穫後乾燥させているところです。
畑のミレットの様子。ミレットは、このように穂先にツブツブの実を付けます。
隊員のいる村で今年から始まった肥料販売事業。 肥料を適切に使えば、収穫量は飛躍的に伸びるのだそうです。ただ村の人が肥料を買うお金を工面するのは大変で、多くの人があまり効果が期待できない僅かな量しか肥料を買えないことが課題とのことでした。

ニジェールの食料危機について

 昨年の凶作の影響で、今年ニジェールは食糧危機が発生しました。ニジェール政府が大々的に各国に援助を要請したため、テレビでその様子を見た方も多いと思います。テレビに映ったのは栄養失調でガリガリに痩せた子供達。親から「お前はちゃんと食べれているのか」と心配されたニジェール隊員もいます。

 しかし、ニジェールに居る自分は食糧危機という実感は湧きませんでした。町のニジェール人も、特に大騒ぎはしていませんでした。実は食糧が不足していたのは自給自足の生活をしている村落部で、都市部ではお金さえ出せば 食糧に不自由はしなかったのです。ただし食糧の価格が上がったので、普段よりひもじい生活を強いられた人は多く居ましたが。

 食糧が不足したのは主に東部地域で、上の写真の村がある西部地域では食糧が底をつく前に今年の収穫が始まったのでそれほど食糧不足は深刻ではありませんでした。 食糧不足が深刻な地域でも、栄養失調に陥るのは飢えに弱い幼児が主で、大人が栄養失調になるほどではなく、「飢餓」や「飢饉」といったイメージではありません。

 そして一番感じたのが、この食糧危機に対する日本人とニジェール人の 考え方の差です。この凶作による食糧危機は、ニジェール人にとっては数年に一度来る天災で、日本人にとっての台風や地震と同じ、今回しのいでもまた数年後に必ずやってくる自然の試練のようなものなのだそうです。むしろ 自分のほうが、今年の夏の日本の台風や地震のニュースを見たニジェール人から「日本は自然災害が沢山あって大変な場所だ!」と同情されてしまいました。

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